子どもの誕生日は、親にとっても嬉しい日。
けれど、長女が3歳になった日の私は、「おめでとう」と心から言えませんでした。
3歳といえば、おしゃべりも達者になって、子育ても少し楽になる頃。
でも、当時の娘は単語は話せても2語文はあまり出ず、体も小さく、年齢より幼く見られることが多かった。
「ついに3歳になってしまった」と思ってしまった自分に、自己嫌悪。
そして、外で「何歳ですか?」と聞かれるのが怖くて、「2歳です」と答えてしまった自分が、今でも忘れられません。
発達の遅れが心配で、人生で初めて、誕生日を複雑に感じてしまった私の本音を、この記事に書き残します。
「3歳の誕生日が苦しい」と感じた私
「おめでとう」と心から言えなかった日
長女が3歳になった日、
私は「おめでとう、大きくなったね」と素直に言えませんでした。
そのことを、今でもずっと後悔しています。
子どもの誕生日は、親にとっても嬉しい日です。
1歳のときも、2歳のときも、私は心から「おめでとう」と言えていたし、成長を喜べていました。
でも、3歳の誕生日だけは、違いました。
3歳になった娘に心から「おめでとう」が言えなかった理由
このときは療育に通い、発達のことをとても気にしていました。
言葉が遅く、2語文がほとんど出なかった
言葉は少しずつ出てきたけれど、2語文はまだ定着していませんでした。
娘は、体も小さくて、3歳には見えませんでした。
そして私は、そんなわが子の姿を、どこか「恥ずかしい」と思ってしまっていました。
もちろん娘のせいではない。
でも、まわりと比べてしまう気持ちを、どうしても抑えきれませんでした。
喋れない娘を恥ずかしく思い、「2歳です」とごまかしてしまった自分
外にいると「いくつですか?」と聞かれることがよくありました。
その何気ないひと言が、私にはつらかく感じました。
私は、3歳なのにうまく喋れない娘のことを知られたくなくて、「2歳です」と、サバを読んで答えることもありました。
本当は誇らしく年齢を答えられるはずなのに、当時の私には、それができませんでした。
だから、背が小さいことで「2歳に見える」ことに、安堵している自分がいました。
そんな自分が情けなくて、でも誰にも言えなくて。
娘の誕生日を祝うはずの1日が、私は苦しくて仕方がありませんでした。
「ついに3歳になってしまった」
そんなふうに思ってしまった自分を、私はきっと一生忘れられません。
「普通の3歳」と比べて苦しかった日々
あのころの私は、娘の成長に「足りないもの」ばかりを見ていました。
喋れないこと
みんなと同じにできないこと
ひとつひとつに傷ついて、そのたびに「どうしてうちの子だけ…」と落ち込みました。
「〇歳ならこれができる」という思い込み
当時は、気づけなかったけれど、今だからわかります。
私の中には、「3歳はこれくらい喋れて、これくらいの身長で、これくらい○○ができるべき」という、普通のイメージがありすぎました。
それは、娘自身の姿ではなく、私が勝手に思い描いていた“理想の3歳”でした。
娘の成長に気づいたことで変わった私の視点
娘は娘のペースで、確実に前に進んでいた。
言葉はゆっくりでも、理解力は着実に伸びていたし、気持ちのやり取りもできるようになってきた。
私が思っていた「3歳像」にあてはめて勝手に苦しんでいたのは、私でした。
長い時間をかけて、私はようやく目の前の子ども自身を見るようになりました。
ゆっくりだけど、確実にできることが増えていく娘。
「ママ」と笑ってくれる娘。
一緒に絵本を見て笑える時間。
今だから言える、あの頃の自分へのメッセージ
3歳の誕生日を心から喜べなかったこと。
「ついに3歳になってしまった」と思ってしまったこと。
2歳とサバを読んでいた自分。
本当に娘に申し訳なくて、どれも、できれば思い出したくない記憶です。
あの頃の私は、「3歳」という年齢の持つ“世間の期待”と、娘の姿を重ねて見てしまっていました。
誰かに責められたわけじゃないのに、自分を追い詰めていたのは、間違いなく私自身でした。
「普通」と比べることばかりに必死で、娘の成長をまっすぐ見る余裕がありませんでした。
今思えば、それだけ必死だったんだと思います。
あのときの私は、よく頑張っていた。
今だから言える。
あのとき、「おめでとう」って心から言えなくて、ごめんね。
3歳のあなたも、ちゃんと愛していたのに。
それを伝える余裕が、少し足りなかっただけなんだ。
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