3歳の発達検査で「軽度知的障害」と診断された娘。
予想していなかった結果に、私は強い戸惑いを感じました。
この記事では、その診断から5歳で再検査を受けて「正常値」と評価されるまでの2年間、私が感じた揺れや葛藤、そして子どもの変化について記録しています。
同じように、診断名や発達検査に不安や違和感を持っている方の参考になればうれしいです。
「軽度知的障害」と診断されたときの違和感
長女が3歳で「軽度知的障害」と診断されたとき、私は大きなショックを受けました。
けれど、それ以上に私を戸惑わせたのは、その診断名と、目の前にいる娘の姿がどうしても結びつかなかったことです。
確かに、言葉はゆっくりでした。
でも、少しずつ語彙が増えてきて、絵本の内容も理解し始めていました。
人とのやりとりも、幼さはあるけれど、ちゃんとコミュニケーションが取れていました。
困りごとなんて、ほとんどないんじゃないかってくらいに落ち着いて生活できるようになっていました。
「この子が“軽度知的障害”?本当に……?」
検査結果を見たとき、そんな疑問が真っ先に頭をよぎりました。
2歳の頃の方が困っていたのに…タイミングへの疑問

まさか今、障害があると言われるなんて。
これが、あのときの正直の気持ちです。
まさか、数値が下がるなんて思いもよらない、青天の霹靂でした。
今じゃなくて、あの頃なら受け入れられる
今回が軽度知的障害なら、1年前の2歳のときに受けた検査で、すでにそう診断されていてもおかしくないはずでした。



1年前の方が比べものにならないくらい、大変だったのに…。
あの頃は、今よりずっと困りごとが多かったし、言葉も出ておらず、何を伝えたいのか分からなくて、私も疲れ果てていました。
それが3歳になった今は、確かに発音はまだ不明瞭で聞き取りづらいけれど、それ以外にはこれといった困りごとは見当たりません。
むしろ、ようやく子育てに少し余裕が出てきたタイミングでした。
周囲も驚いた診断結果に、私の気持ちは揺れた
療育の先生や幼稚園の先生に結果を共有したとき、「1年前より数値が下がって軽度知的障害になった」と伝えると、みんなが口を揃えて驚きました。
そう、それこそが私の感じていた違和感そのものでした。
数字は正しくても、すべてを表しているとは限らない
客観的な検査に、納得できない感覚
発達検査は、「できること・できないこと」を点数で見せてくれます。
客観的で、信頼できるデータであることは間違いありません。
でも私は、その“数字”が、実際の娘の姿よりも下に評価されているように感じてなりませんでした。
そこにずっと違和感がありました。
検査結果が正しいのか、私の目が甘いのか。
それとも、「障害児」という現実を、私がまだ受け入れきれていないだけなのか。
考えれば考えるほど、わからなくなりました。
頭では理解している。
けれど、心がついてこない。
そんな日々が、しばらく続きました。
信じたい気持ちと、現実のはざまで揺れる毎日
それでも、診断が出た以上、現実は変わりません。
療育に通い、家でもできるサポートを続けました。
親として、やれるだけのことをしようと動き続けました。



この時の私は、とにかく動き回ることで、気を紛らわせたかったのだと思います。
前回は境界知能、そして今回は軽度知的障害。次の検査でどう出るかはわからない。
けれど、たとえ診断がどうあれ、今この子が頑張っていることは確かです。
本当に知的障害であっても、次回の検査で手帳が外れる結果が出たとしても、どちらにせよ、娘の努力が実を結ぶ日がきっと来ると、信じて、動き続けるしかありませんでした。
「普通」と比べてしまう日々。心が締めつけられる瞬間
お友達の会話を聞いて感じた差
幼稚園の帰り道、前を歩く親子の会話が耳に入ったときのことです。
「ママ、今日ね、○○ちゃんと△△して遊んだの!」
年少さんって、こんなにしっかりおしゃべりできるんだ。
その瞬間、驚きと劣等感がいっしょに押し寄せてきました。
うちの娘は、こんな風におしゃべりはできません。
やっと言葉が出始めてきたばかり。
確かに伸びてきてはいるけれど、まだ、たどたどしい。
今日、幼稚園で何をしたの?と聞いても、「そとで あそんだ」としか返ってきません。
なんだか、毎日同じことしか聞いていない気がする。
比べても意味がないのに
「比べたって仕方ない」と頭では、わかっています。
「娘はまだ言葉を話し始めて数ヶ月。他の子はもう1、2年以上話している。練習期間がまるで違うのだから、差があるのは当然だ」と、自分に言い聞かせます。
でも、ふと心の中に、



このまま他の子に追いつくことなんて、本当にできるの?
一生、届かないのでは?
それが「障害」ということなのでは?
そしてまた、考えてもどうしようもないことに心が絡まってしまいます。
あのとき、発達検査を受けなければよかったのだろうか。
もっと言葉が育ってから受けていたら、診断は出なかったのでは?
タイミングひとつで、この子の“未来”が決まってしまった気がしてなりませんでした。
もちろん、そんなことを考えたって、意味がないのはわかっています。
でも、どうしても考えてしまう。
「普通」と比べて、心が疲れてしまう日があるのです。
診断に揺れながらも、少しずつ変わっていった娘
軽度知的障害と診断されてから、1年以上が経ちました。
娘は、この1年で大きく成長しました。
入園した当初、満3歳児クラスと年少の頃は、幼稚園の個人面談に毎回1時間以上かかっていました。
言葉がゆっくりだったから、本人の口から状況を説明することが難しく、私が代わりに伝えることが多くありました。
先生との認識の擦り合わせも多くて、毎回、気合いを入れて面談に臨んでいました。
終わるとどっと疲れが押し寄せて、何度も「これがあと何年続くんだろう」と思っていました。
年中に進級してから、まるで別人のように
娘は、年中に進級してからは、まるで別人のようになりました。
面談も、普通の子と同じように短時間で終わるように。
先生から「何か気になることはありますか?」と聞かれても、こちらから話さないと特に指摘もありません。
あの頃の「特別な配慮」が、今では必要なくなりつつあることに気づいたとき、私はちょっとだけ戸惑いました。
うれしいのに、信じていいのか怖くなります。



「軽度知的障害の子が、ここまで楽なの?それとも、定型の子はもっともっと楽なの?」
娘の成長が嬉しいのだけれど、それに伴い、娘に障害はないのでは?と疑問が浮かびました。
でも、上がると思っていた発達検査で下がっているから、期待するのはよくないと自分の気持ちを押さえていました。
けれどやっぱり、これはまぎれもなく娘の頑張りの成果です。
言葉も、人とのやりとりも、ひとつひとつを積み重ねて、ここまできました。
私が診断に振り回されて悩んでいた日々の中で、娘はそんなことを知らず、こうして少しずつ変わっていきました。
診断に揺れながらも、前を向こうとした2年間
「軽度知的障害」という診断を受けてからの2年間は、迷いと不安の連続でした。
検査結果や診断名に心を揺さぶられながらも、娘の可能性を信じて、私なりにできることを積み重ねてきました。
療育に通い、家でも毎日少しずつ、娘の「理解力」や「言葉の力」を育てる工夫を続けました。
このときの私は、「何が正解か」なんてわからないまま、それでも目の前の娘のために試行錯誤し続けていたのだと思います。
そして、その日々が、確かな変化へとつながっていきました。
娘はこの2年間で、IQが24も伸び、発達検査で「正常値」と評価されるまでになったのです。
その道のりには、特別な教材や高価な支援ではなく、家庭の中でできる小さな工夫の積み重ねがありました。
▼続きはこちらの記事で詳しくまとめています


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